最初に私たちの目を引いたのは夫をタグ付けするように促した投稿のコメントでした。
「もし最愛の妻がまだ生きていたら、私のことをタグ付けすることでしょう。でも、悲しみにくれる夫となった今、私の人生にはポッカリと穴が開いてしまいました」
それは悲しく、同時に困惑するコメントでした。この読者の身に一体何が起きたのでしょうか。この読者が無事であることを祈りながら、話を聞くためにジェレミー・シムに連絡を取りました。
「妻は theAsianprarentの投稿によく私をタグ付けしていました。2ヶ月近く経ちますが、今でも毎晩泣きながら眠りについています。目が覚めると横に妻がいることを願いながら。まだまだ一緒にいたい・・・」彼はこのように語り始めました。

馴れ初め・・・
シンガポール出身のジェレミー・シムと妻となるカミラ・フォンの出会いは職場でした。ジェレミーが主席マリンシステムエンジニアとして働く一方、カミラはその海運会社のオートメーション部門のエンジニアでした。
「彼女のことが気になりだしたのは出会ってから数ヶ月後でした。ある日セキュリティについてのセミナーに出席したときのことでした。セミナーが終わったのは夜遅く、彼女が自分とは反対の方向に住んでいたとは知っていましたが送って行くよと伝えました」
それから2人はすぐに恋に落ち、2010年12月27日に結婚しました。しかし、全てがバラ色というわけではありませんでした。ジェレミーはこう話しています。「結婚したその日から苦労は続きました。彼女は家族の住むマレーシアに家業の手伝いで呼ばれ、しょっちゅうマレーシアに行っていました。お互い会う時間がほとんどないぐらいでした」
「一緒にいられる機会だけでも作ろうと何年もの間苦労しました。彼女と2年間一緒にいるためにシンガポールでの仕事を辞めて、彼女の故郷で働きました。子どもを作ろうと決めたのはその頃でした」
ザッカリーは2015年に生まれました。「ザッカリーの誕生は私たちの素晴らしい人生の始まりでした。ザッカリーが私たちの生活に喜びと幸福をもたらしてくれたのです」とジェレミーは愛おしそうに語ります。
妻をがんで亡くしました・・・

しかし、運命とは残酷なものです。
ジェレミーは悲しい日々を思い出しながら話してくれました。「1年経った2016年の6月、がんが分かりました。カミラは神経内分泌転移癌と診断されたのです」
「根治的な子宮摘出術を行うかどうかを決めなくてはいけませんでした。がんの告知を受けた私たちは、望んでいた2人目の子どもを諦めるという現実に直面し泣き崩れました。彼女は気丈にふるまい、全てが落ち着いたら養子縁組で子どもを迎えることもできると言いました。手術は成功し、通常の生活に戻ることを楽しみにしていました」
しかし、その望みは儚いものとなってしまいました。このまれながんは、両肺、肝臓、骨盤周辺、そして骨にまで広がっていたのです。
「がんを排除するために、手術、化学療法、放射線療法、免疫療法と4つの方法を試しましたが、それでもがんは治りませんでした。私たちは失望し途方に暮れました」
末期・・・
そして、歯車は狂い始めたのです。
「ちょうど母の日とザッカリーの2歳のお誕生日が同じ日だったので、みんなでお祝いしました。全ては順調でした。5月15日の翌日までは」
「熱と息切れでカミラは入院したのです」
「CTスキャンの結果からは肺の大部分が病に侵されていることが分かり、医者からもう長くないことを告げられました。医者は彼女の決意と強い意志に驚きを隠せませんでした」
「最愛の妻は、自分の状態も知らずに私の母親や自分の両親に病気と戦い続けると言うのです。これを聞いたとき、私は病棟から飛び出して泣き崩れました。妻の状態は日を追うごとに悪化していきました」
ジェレミーは祈りに祈りを重ねましたが、暗い未来しか見えませんでした。
「5月21日、こんなに苦しんでいる君の姿を見るたびに泣けてくると妻にそっとささやきました」
「妻に言いました。『その痛みを分かち合えたらいいのに・・・よく頑張ったね。いつも、いつも君のことを愛しているよ。ザッカリーにはママがどんなに素敵で素晴らしい人だったか伝えるよ。何があってもザッカリーを大切にして守り抜くと約束するよ』」
「そして私たちの素晴らしい人生は幕を下ろしたのです」
記憶の中に…

最期のお別れについてジェレミーは語ってくれました。「お通夜でザッカリーは棺を綺麗にする手伝いをしてくれました。火葬場では、さようならとママに手を振り投げキスをしました。私が火葬場で泣き崩れ呆然としていると、ザッカリーは私の手を取りバスまで一緒に歩いてくれました」
「僕たちの息子は、僕なんかよりずっと強いよ。君に(カミラに)そっくりでしっかりしている。君も誇らしく思うはずだよ」
カミラがどんなに美しい人だったかジェレミーはこう言います。「カミラは元同僚、友達、親戚、家族からとても好かれていました。素晴らしい人だったと皆言います。素晴らしい母であり、最高の妻であり、親孝行な娘でした」
「また妻は慈悲深い人でした。貧しい人に頻繁に寄付し、子どものいる貧しい家庭には粉ミルクの缶を寄付していました。社会に恩返ししたいと考えていたのです」
「この世を去る時でさえも自分の持ち物を寄付しようとしました。でも、妻の持ち物を思い出として残すため、代わりに私が子どもの頃から集めてきた貴重なスターウォーズのコレクションを寄付することにしました」
忘れられない・・・
ジェレミーは今も最愛の妻を想い、死を受け入れられずにいます。「妻の携帯はいつも彼女が置いていた場所に置いています。寂しくなったらメッセージを送っているんです。もしかしたら返事が返って来るんじゃないかと思いながら。ばかげているのは分かっています。でも、そうせざるを得ないのです」
「人は皆悩むものです。日は過ぎ去り、心は空しさで埋まっていきます。時間を止めて、あの楽しかった日々をもう一度過ごせたら・・・」
「妻のいない人生はザッカリーにも私にも辛いものです。どんなに会いたくても会えないのですから。先日はカミラが横にいない初めての父の日でした。息子のためだけに、そしてカミラとの約束を果たすためだけに今は生きています」
「変な気を使わせてしまうのではと友人を避けてきましたが、今までのように連絡をくれると嬉しいです」
「君は(カミラは)良い思い出をたくさん残してくれたね。僕には忘れることができない。僕のこの腕の中に君がいないと、魂に穴が開いてしまったようだよ。人ごみの中に行けば君を探してしまう自分がいる。見つけられないなんて分かってるけど、探してしまうんだよ」
そして最後にジェレミーは私たちにこんなメッセージを伝えてくれました。「今あなたが愛する人と一緒にいるのなら、一瞬一瞬を大切にし、すべての愛を注ぎ続けてください。私たちには何の選択肢もありませんでしたが、あなたにはまだ未来を変えるチャンスがあるのですから」
ジェレミー、このたびはお辛い出来事を話してくださりありがとうございました。ザッカリーとあなたが一日も早く心穏やかに過ごせますようお祈り申し上げております。心よりお悔み申し上げます。